Tonys NetHome>誰も書かなかったマラッカの歴史

マラッカ王国を攻撃し植民地として統治したポルトガル軍が建設したファモサ要塞(サンチャゴ砦)と人力三輪車(トライショー)。トライショーの運転手さんはマラッカの街を知り尽くしています。道に迷ったら恥ずかしがらずに頼りましょう(^^)

マラッカを知らずして、マレーシアを語るなかれ

Visit Melaka Means Visit Malaysiaこれは、マレーシア政府観光省が数年前から利用しているマラッカ観光PRのキャッチフレーズです。日本語に訳してみると「マラッカを訪ねること、すなわちマレーシアを訪問すること」という意味になります。

拡大解釈してみれば「マラッカを知らずしてマレーシアを語るべからず」と言い替えることができます。

筆者がマラッカに漂泊して21年。マラッカでの生活や史跡巡りの日々を振り返りますと確かにマラッカにはマレーシアの歴史がぎっしり詰まっています。歴史的建造物だけではなくマレー民族の伝統、多民族が共栄するための宗教や文化の融合がハーモニーを奏でるかのように見事に融け込んでいます。

マレー系先住民族はもちろん中華系移民、ポルトガル人の子孫ユーラシアン民族、混血のババニョニャ民族(プラナカン)、インド系移民が肩を寄せ合い歴史の街マラッカを形成しています。

マレーシアの歴史を紐解くときそれはマラッカの歴史を探ることになります。この章ではマラッカの歴史を取り上げ解説していきます。マラッカの街に今でも残る史跡見物を10倍ワクワクさせる「楽しくてためになる」コーナーにしていきたいと思っています。

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第一章 マラッカ王国 1396~1511年
 1-01 マラッカ王朝の起源
1-02 マラッカ王朝の繁栄と朝貢(前編)
1-03 マラッカ王朝の繁栄と朝貢(後編)
1-04 アラブ交易誘致のためイスラム化を推進
1-05 多民族国家の礎 国際政略結婚
1-06 マラッカ王朝の政治体制
1-07 マラッカ王朝の倫理観
第二章 ポルトガル時代 1511~1641年 近日公開予定
第三章 オランダ時代 1641~1824年 現在取材中
第四章 イギリス時代 1824~1957年 現在取材中
第五章 日本軍占領期 1942~1945年 現在取材中
第六章 マレーシア独立 1957年~ 現在取材中
第七章 マラッカの歴史年表 公開中
 7-01 歴史年表資料公開中
レトロな街並みを今に伝える「リバーサイドウォーク」。夕暮れ時のジャランジャラン(お散歩)にオススメできる観光スポットです

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