マラッカ(マレーシア)の歴史年表
1396年 | マラッカ王国成立 スマトラ島(現インドネシア)パレンバンの王族「パラメスワラ王子」により「マラッカ王国」が宣言された。 |
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1403年 | 明国よりの使者「イェン・チン公使」がマラッカに到着する |
1405年 | 明国の海軍大将「鄭和」がマラッカに初寄港 当時、シャム(現在のタイ王国)のアユタヤ王朝からの侵略を怖れたマラッカ王は、明(現在の中国)の皇帝「永楽帝」にそのバックアップを依頼した。永楽帝の命を受けて大遠征を指揮した海軍大将「鄭和」(日本読み:ていわ、中国名:チェン・ホゥー)を通じ朝貢を行い明国はこのマラッカ王国を支援した。マラッカ王国はスパイス(香辛料)などの東西交易の重要な港として100年以上繁栄する |
1411年 | マラッカ王国のパメスワラ王が明国皇帝を自ら表敬訪問する |
1414年 | 国王がイスラム教を受け入れる パメスワラ国王は、イスラム教を享受し「ラジャ・イスカンダル・シャー国王」と改名する |
1424年 | 初代国王の子息「スリ・マハラジャー」がイスラム名「サルタン・モハマッド・シャー」と改名、二代目国王に就任した。 現在でも国王を意味するマレー語のサルタン(ソォルタン)と言う呼称はこれ以降、現在でも使われている。国王のお墨付きを得たイスラム教が浸透しはじめる |
1447年 | シャム王国アユタヤ朝がマラッカ王国を初攻撃 マラッカ海軍艦隊はこれを迎撃、シャムは撤退を余儀なくされる |
1509年 | ヨーロッパからの最初の交易船がマラッカに寄港 アフリカ喜望峰から回航しインドを経由してきた「ディェゴ・ロペス・デ・セクィエラ隊長」率いる軍艦を連ねたポルトガルの商船隊であった。この時栄華を極めた貿易港「マラッカ」に魅力を感じたポルトガルの侵略構想が膨らんだと思われる |
1511年 | 「マラッカ王国」陥落。ポルトガルの植民地となる 時は大航海時代。マラッカは東西交易に欠かせない重要な海洋拠点であった。従来のアラブ商人経由の香辛料取引を直接交易による利益を独占しようとしたポルトガル。国王の命を受けた「Alfonso D' Albuquerque;アルフォン・デ・アルバカーキ副王」が16隻の大艦隊を率いてマラッカ王国を10日間包囲し攻撃、占領。現在も残るサンチャゴ砦(ファモサ)と5階建ての塔を建設した。 この難をかろうじて逃れたマラッカ国王は南下遷都し国名を「ジョホール王国」として18世紀に衰退しイギリスの支配下に入るまで勢力を保っていた。マラヤ連邦として完全独立後ジョホール王は復権し、現在でもその末裔がジョホール王(サルタン)として王家は存続している。 |
1545年 | フランシスコ・ザビエル、マラッカに初寄港 イエズス会の命を受けインドのゴアを経由してマラッカに初上陸。ポルトガル要塞の丘の上にあるセントポールチャーチでキリスト教の宣教を始める。この頃、薩摩の国(現在の鹿児島県出身の元武士「ヤジロウ」(アンジロウとも呼ばれている)と出会いザビエルは日本での布教を決心したとされている。 |
1553年 | フランシスコ・ザビエル、中国サンチャン島にて殉教する 1549年に日本での布教を終え、次なる布教の地「中国」目前にして熱病に倒れる。ザビエルの遺体はマラッカまで運ばれ、セントポールチャーチの礼拝堂の地下に埋葬される。9ヶ月間埋葬された後、再び掘り起こされインドのゴアまで移送される。 |
1588年 | 最初のイギリス人「ラルフ・リッチ」がマラッカに到着 |
1597年 | オランダがマラッカを初攻撃 |
1615年 | スマトラ島のアチェ王国マラッカのポルトガル軍を攻撃 アチェ王国(現在のインドネシアからの独立運動をしているアチェ) |
1641年 | ポルトガル支配が駆逐。オランダの植民地となる オランダ人は初攻撃からマラッカ攻略を狙い数度にわたって攻撃を繰り返した。最終的にはジョホールに遷都していたマレー人と連合戦線を組みポルトガル軍を追いつめた。 |
1645年 | 現存する最古の中国寺院完成 中国人の指導者「リー・ウェイ・キン」によって、マラッカのチェン・フー・テン仏教寺院が建立される。 |
1650年 | オランダによってスタダイスビルが完成 スタダイスとは、オランダ語で「州会議事堂」または「市役所」という行政機関を意味する。植民地行政執行責任者の官舎も併設されていた。マラッカに現在も残っている改修を重ねたスタダイスの原型は当時の建造物である。 |
1786年 | 東インド会社(英国)がペナン島を植民地とする |
1808年 | イギリス人「ラッフルズ卿」が、マラッカに初寄港 |
1819年 | イギリス人「ラッフルズ卿」、シンガポールを獲得する ジョホールのフサイン・モハマド・シャー国王はイギリスの東インドの会社にシンガポールを割譲した |
1824年 | 英蘭協定締結によりマラッカ海峡をはさみ東側(現:マレーシア)を英国領、そして西側(現:インドネシア)がオランダ領となる |
1896年 | マレー連合州が結成され、マレー半島全域が英国植民地となる |
1941年 | 太平洋戦争戦時下において日本軍がマレーシアを占領する 12月8日 日本陸軍第25軍先遣兵団、マレー半島コタバルに上陸 2月10日 マレー沖海戦により英国東洋艦隊を撃破する 12月11日 日本陸軍航空隊、ペナン島を攻撃 12月13日 アロースターを占領 12月19日 マレー半島北部の英軍飛行場の全てを占領 12月31日 佗美支隊、クアンタンを占領 |
1942年 | 1月11日 第5師団、クアラルンプールを占領 1月31日 第25軍、マレー半島南端のジョホールバルを占領 3月12日 近衛師団、北部スマトラを占領 |
1945年 | 太平洋戦争終結。再び英国の植民地となる |
1948年 | マラヤ共産党の反乱が起こる |
1956年 | 2月20日 マラッカのバンダーヒレルにおいてトゥン・アブドゥル・ラーマン初代首相がマラヤ連邦の独立宣言 |
1957年 | 8月31日 「マラヤ連邦」として完全独立を達成 |
1963年 | 「マレーシア連邦」成立 シンガポール、東マレーシアのサバ、サラワクを加える |
1965年 | 8月9日 シンガポールが分離独立 現在のマレーシアが形成された |
1989年 | 4月15日 マラッカが"Historical City"「歴史の都市」であると市政の承認を受けた |

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