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セントポール教会礼拝堂史跡 St. Paul’s Church

セントポール教会礼拝堂史跡 St. Paul’s Church

スタダイス広場(クロックタワー)の東南裏、ファモサ要塞跡(サンチャゴ砦)の西北背面にある小高い丘を「セントポールヒル」と呼んでいます。丘の頂上にあるのがセントポール教会・礼拝堂史跡です。マラッカ王朝を駆逐し、占領したポルトガル軍によって1521年に建立されその後、改築改修を繰り返し現在でもその姿を留めています。東南アジアにおけるキリスト教(カソリック)伝来を伝える貴重な資料といえるでしょう。

残念ながら、この教会史跡の屋根は朽ち果て壁面しか残っていません。なぜメンテナンスしていないの?と思う方も少なくないと思いますが、歴史の深い意味があります。西欧の列強各国がアフリカ大陸の南端「喜望峰」(ケープタウン)を廻って、アジアへ向かう航路を確立する以前、15世紀末までマラッカを含む東南アジアの国には、インドから伝来したヒンドゥー教、仏教、そしてアラブからのイスラム教が布教されていました。

キリスト教のアジア伝来は16世紀の大航海時代にはじまりました。この時期はローマ教会が行った免罪符の販売(金銭による罪の償い )に端を発したルターの宗教革命と重なっています。教皇位の世俗化、聖職者の堕落などが著しいローマ・カソリック派に異を唱え、偶像崇拝廃止し「聖書」のみを信じるプロテスタント派の教えがドイツやイギリスなどヨーロッパ各地に広まりはじめる時代でもありました。

カソリック派は、プロテスタント派の拡大を阻みむため新天地をアジアに求めたのです。その急先鋒の任務を担ったのがイグナチオ・ロヨラ氏が率いる「イエズス会」です。日本でもおなじみのフランシスコ・ザビエル氏がイエズス会・極東アジア地域の責任者として1545~1552年に定期的にこの教会を訪れ、布教活動を行っていました。(注・マラッカでは「聖人」を意味するセント・フランシス・ザビエルと呼ばれています)

マラッカを支配したポルトガルはキリスト教カソリック派。その後支配者となったオランダ、イギリスはプロテスタント派だったため、カソリック教会として建てられたセントポール教会は見放され、メンテナンスされない建物の宿命を背負いやがて朽ち果てる悲運に見舞われたのです。

教会史跡にある墓石に隠された意味

丘の上の教会に並ぶ墓石の謎?

教会史跡内部には高さ2メートルの墓石がズラリと並んでいます。この墓石には深い意味がこめられています。実は、この墓石に刻まれているのは同じキリスト教徒でもプロテスタント派の功績者・信者さんたちなのです。ローマ・カソリック教を否定し、この教会が荒れ放題にしたプロテスタント派の墓石がなぜココにあるのか?ちょっとご紹介しておきましょう。

1957年、長かった植民地としての歴史に幕を引きマラヤ連邦として独立したマレーシア政府はこの丘にマラッカ州を統括する「知事」の公邸(現在のガバナー・ミュージアム)を設置しました。イスラム教徒だった知事の公邸から見下ろす丘陵地に点在していたのは墓石でした。この丘の北側にある、オランダ統治時代に建築されたプロテスタント教会「クライストチャーチ」の墓地として利用されていたのです。

目障りだし、イスラム教徒とキリスト教徒の死後の世界に対する価値観が相反するため、マレーシア政府は平然として墓地の撤去を宣言し、格調高い庭園建設工事に取りかかろうとしました。この情報をキャッチしたクライストチャーチ信者さんたちは、墓地撤去に抗議しましたが、マレーシア政府はこれを拒絶。墓地の代替え地も見つからないまま困っていたその時、カソリック教会が救いの手を差しのべました。

せめて墓石だけでも保存したい!というプロテスタント派の信者さんの気持ちをくみ取り『キリストの名において同盟者として』カソリック派の信者さんが撤去工事の進む現場でチカラを合わせて墓石を、このセントポール教会史跡に運び込んだのです。胸にジーンとくる美しい話ですね。

フランシスコ・ザビエル師が宣教していた丘の上の教会

フランシスコ・ザビエル師が宣教していた丘の上の教会

日本でもお馴染みのフランシスコザビエル師は、このセントポール教会で知り合った日本人の元武士アンジロウ(ヤジローともいわれる)と共に、1549年マラッカから日本へ向かいました。日本での宣教を終え、いったんマラッカに戻ったザビエル師は中国への布教を計画します。

イエズス会本部から中国への「耶蘇教」布教の使命を与えられたザビエル師は、サンチャン島(上川島)で中国大陸本土への入境・上陸許可待ちをしていた時に熱病の冒されてしまいます。1552年12月に46歳で殉教したザビエル師の聖骸は、インドのゴアへ移送中9ヶ月の間、マラッカの教会で安置されていました。

祭壇があったと推察される教会内部東側正面に「IHS」と刻まれたプレートが埋め込まれた金網の囲いがあります。ザビエル師の聖遺が安置されていた場所です。この地を訪れるイエズス会の会員、カソリック信者にとって神聖な場所であり世界各国からの参拝者が今でも絶えません。

この教会史跡には、夕刻ギターを抱えたストリートミュージシャンの歌声が響き渡ります。春分と秋分の日には太陽が教会正面の窓からスッと登り東から西に軌跡を残しながらマラッカ海峡に沈みます。季節や時間帯によって様々な顔を持つセントポール教会史跡。ぜひ、足を運んでみてください。

夕刻ギターを抱えたストリートミュージシャン

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