ファモサ要塞跡 A' Famosa 別名 サンチャゴ砦 Porta de Santiago
1511年にマラッカ王朝を駆逐し植民地経営に乗り出した大航海時代の覇者「ポルトガル」によって建造されたファモサ要塞史跡。別名サンチャゴ砦とも呼ばれています。シンプルだが堅牢で、中世ヨーロッパのデザインを今に伝える貴重な建造物です。
設置当時、この砦の外側は海でした。2011年現在、この砦はダタランパラワンやマコタパレードという商業施設や、ホテル・病院の建ち並ぶ「マラッカ・ラヤ」という街に面しています。サンチャゴ砦からマラッカ海峡の海岸線まで約700メートルありますが、すべて埋め立て地なのです。
後にこのマラッカを征服したオランダの東インド会社もこの要塞を利用しました。1795年に英国が防衛上必要のなくなった砦を破壊するため爆薬をセットし破壊される寸前、スタンフォード・ラッフルズ卿(シンガポール中興の祖)が「この建造物は、偉大な開拓者の英知を後世に伝える貴重な資料だ!」と力説し爆破が中止され現存するただひとつの砦として公開されてます。
ポルトガル軍が占領地を囲む城壁に建築したマラッカの砦
マラッカ海峡から攻め込んでくる外敵の侵入を防ぐため、司令本部を含むセントポールの丘の周囲をグルリと囲む高さ5メートルもの城壁が築かれました。ポルトガル軍進駐当時、城内に出入りする通用門として4ヶ所の門(ゲート)が設置されました。サンチャゴ砦はその4つの門のうち現存するたった一つのゲートです。
このサンチャゴ砦はマラッカで一番名物度の高い史跡であるため99%の観光客が立ち寄ります。もちろん日本語で書かれた観光ガイドブックにも99%の確立で紹介されています。しかし数あるガイドブックの中には勘違いした記述もあるのでご注意ください。一例を取り上げておきます。
誤:「マラッカの領有を巡ってオランダと戦ったポルトガルが1511年に築いた砦」
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1511年当時にオランダはマラッカの領有を巡って交戦した事実はない。1511年にポルトガルが交戦したのは東西交易により栄華を極めたマラッカ王朝との戦いでR。
誤:地元では「ア・ファモサ( A Famosa)」とも呼ばれている人気のスポットです
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ア・ファモサではなく「エー・ファモサ」と呼ばれています。
誤:ポルトガルがオランダとの戦いに備えて造った大砲もあります
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確かに、大砲はこの砦の外側に6本並んでいますが、ポルトガル時代のモノではなくオランダのアムステルダムで1700年代に作られた本物が展示されています。昔の写真を注視するとこの場所に大砲は確認できません。観光客向けに設置されたのは1990年代だと思われます。サンチャゴ砦の昔の写真はコチラから
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