ザビエル蟹と十字架の伝説
- 日本でもお馴染みのフランシスコザビエル師が日本に上陸しキリスト教を布教する前、マラッカで宣教に身を捧げていた。その頃、十字架(写真上)の立てられているこの場所は海だったのだ。
- 場所は、スタダイス広場からファモサ(サンチャゴ砦)へつながっているジャラン・メルデカの交通博物館の奥。現在は埋め立て地が700メートルほど延長されているのでここが海だったと説明しても誰も信じないが、海だったのだ。
- なぜココに十字架があるのか説明しておこう。ポルトガル占領時代の1540年代、この辺り一帯は、大航海時代を担う東西交易の船舶が行き交っていた。栄華を極めたマラッカ港の船着き場だったのだ。
- ある日、ザビエル宣教師はインドのゴアからマラッカへ到着した。この先の丘にあるセントポール教会へ向かうため沖合に停泊している大型帆船から艀(はしけ)に乗り換え船着き場に向かって船頭が艀を漕いでいた。
- 運悪く、海面すれすれに姿を隠した岩礁に乗り上げ、ザビエル師の乗った小舟の船底にポッカリ穴が開いてしまい沈没は必至。大変なことになった。さあ、どうしよう・・・
- その時、一匹のカニが船底の穴に自分の甲羅(こうら)を押し当て、浸水するのを防いだのだ。おかげでザビエル氏と従者たちは船着き場へ無事上陸できた。しかし、船底を守ったカニは絶命してしまった。
- カニは自分の命と引き替えにザビエル師たちを守ったのだ。ザビエル氏はこのカニの偉業を讃え、冥福を祈り十字を捧げた。この話には後日談がふたつある。
- 以降、この近海で漁師の網にかかるカニの甲羅には十字の模様が刻まれるようになった。人々は祈りを捧げたザビエル師の奇蹟と崇め、カニに「ザビエル蟹」と名付けた。マラッカで十字の甲羅のカニは今でも水揚げされている。
- そして船底に穴を開けた岩礁には十字架が立てられ、付近を航行する船舶に注意を促し航路の安全を護ったとのこと。その十字架が史跡として今でもポツンと公園の中に立っているのだ。
- この岩礁による水難事故でザビエル師が殉教していたら、日本へキリスト教が伝来したのは1549年じゃなかったかも。 この十字架は、愛と勇気そして自己を犠牲にザビエル師に宣教の機会を提供した知る人ぞ知るパワースポットなのだ。
マラッカのインディペンデンス広場にて