マラッカ海峡からの文化論
- 名もないカンポンまで足を伸ばしてしまった時の記憶である。カンポンとはマレー語でKampungと綴り英語では「ビレッジ」を意味する「村」という意味になる。しかし日本語的には、田舎(いなか)とか故郷(ふるさと)と訳しても問題ない。
- 2年前、ペナンで友達の結婚式に参列した後、マレー半島の西北端のアロースターという街で、季節はずれの夏休み休暇を楽しんでいた。グヌン・ ジェライ(Gunung Jerai)という山に登ったとき、眼下を見渡すとマラッカ海峡に浮かぶ島を見つけた。
- スマホのGPSで確認すると、細い田舎道だがたどり着けそうな感じだったので とりあえず出発してみた。道中のカンポンは、田園地帯で稲が黄金色に輝いていた。マラッカ近郊にはない広大なライスフィールドが続いており、気のせいか空気も美味かった。
- 島に接近するにしたがって、道路は極端に細く未舗装路になり心細かったけど、通称カンポン・ロードを走り抜けて海岸まで辿り着いた。クルマは進入禁止だったが立派な橋が架かっていた。 島はプラウ・バンティン島(Pulau Bunting)と呼ばれている。
- 山の上から見たときには、マラッカ海峡に浮かんでいる小さな島のようだったが対岸に来てみると、大きな島に見える。歩くと遠いけど車は禁止なので、橋の隣にあった屋台のオヤジさんからバイクを借りて(1時間5リンギ・ガソリン込み)渡ってみた。
- 日没時間まであと1時間半ほどある。太陽の高度はまだ高く、衰えもしないまぶしい逆光を放っていた。ふと、漁船が目の前を横切ろうとしている。これから、夜の漁に出かけるのか?それとも漁の帰りで家路についているのだろうか。
- 「人はどこから来て、どこへ行くのか」というフレーズを思い出してしまった。目の前の漁師さんは、マラッカ海峡を航行している。潮の流れと風に身を任せるも良し、エンジンを使って逆行するも良し。どこへ行くのも自由が彼にはある。
- どこから来て、どこへ向かうのかはわからない。だけど海原に浮かぶ小舟を見つめていると、私は生きているのではなく生かされている気がしてくる。漁師さんもまた、海の恵みの魚のおかげで家族が養えていると考えると、やはり生かされているのだろう。
- カンポンに広がっていた田園も大地の恵みを育む。農家のオヤジさんにしてみれば「ワシが稲を育てて米を収穫しとるのじゃ」と言いたいところだろう。しかし、大地と水と太陽のおかげがあってのこと。やっぱり我々は地球に生かされているのだろう。
プラウバンティン橋・ケダ州にて