発掘されてしまった遺跡(サンチャゴ砦遺構)
- マラッカを訪れる観光客が99%足を運ぶファモサ要塞(サンチャゴ砦)。1396年に成立したマレーシア最古の王朝「マラッカ王国」が東西交易を担う国際貿易港湾国家として繁栄していた頃、大航海時代の幕開けとなった。
- 天動説を信じていた西欧諸国がアフリカ先端の喜望峰を廻航しインドへ到達。そしてすさまじい勢いでアジア諸国を駆逐し、植民地経営に乗り出した。マラッカは圧倒的な武力で攻撃されポルトガル軍により1511年に占領されたのだ。
- 占領といっても、マレー半島すべてを国家として運営したのではなく、国際交易港湾国家として繁栄していた「マラッカ港」とセントポールヒルを住居地として、およびその周辺の倉庫群を護る城壁に囲まれた砦を建設し占拠し街を創造したのだ。
- ポルトガル軍が建築し、現在も残されている「ファモサ要塞」(サンチャゴ砦)に向かって左手に、現在ジャラン・メルデカ通りがある。その左手に広がるショッピングセンターに至る700メートルのエリアはマラッカ海峡を埋め立てた土地なのだ。
- 2001年、独立記念広場にあったスポーツ競技場で大規模な工事が始まりまった。敷地を掘り下げて複合型商業施設を建設しグランドフロア(地上階)を公園に戻す計画だったのだが・・・施工主が完成前に破産し代替わりした結果、当初の約束は反故にされた。
- 2006年の秋、ダタランパラワンという新しいショッピングセンターとしてオープンした。当初の計画だった一階部分を競技場公園に戻すプランは変更され商業施設風のデザインで建設された巨大なショッピングセンターとなった。
- 最初のデベロッパー(開発業者)さんは高邁な理想を掲げ自然に調和したマラッカの新しい商業施設をコンセプトにしていたのだが、コストが割高で、景気の悪い時期だったこともありテナント希望者が集まらずに挫折・廃業に追い込まれてしまったのだ。
- 2代目の開発業者さんも資金が集まらずに廃業。そして現在3代目の開発業者さんが急ピッチで工事を再開。この時点で採算を考慮し自然に優しいプランは姿を消した。
- これらの開発工事の途中で見つかってしまったのが1511年当時の海岸線に張り巡らされたポルトガル軍、そして2代目の支配者オランダ軍が建設した城壁や排水溝の史跡。
- 遺跡保存に熱心な日本や欧州なら即、開発ストップ。考古学的な研究のため保護対象になるような発掘でしたが、工事は止まらず一部の遺跡のみ残され工事のため跡形もなく削られてしまったのだ。遺跡の上に、新しく建築物を積み重ねるように建設し人類は都市を造って来たのは間違いない。開発を優先する業者の気持ちもわかりますが、古き時代のモノを大切にする気持を忘れたくない♪
- その後、2008年にユネスコ世界遺産に認定されこの周辺エリアの歴史的遺構などがプロテクトされるようになりました。2015年現在、セント・フランシス・ザビエル教会の向かいにある駐車場、帆船博物館の北、スタダイス広場の南部分など様々なエリアで遺構が発掘されすべて、開発建築禁止。遺構跡として公園整備されるようになっています。
2015年6月追記
マラッカの遺跡現場からファモサ要塞を望む