セント・フランシス・ザビエル師の失われた右腕
- マラッカのセントポール教会史跡に日本でもおなじみのフランシスコザビエル師の石像がある。階段を登ってくる観光客を優しく見守ってくれるかのような石像なのだが・・・じっくり観察すると右手がない。
- マレーシア政府公認、公式ツアーガイドですら、さまざまな作り話をアナウンスするほど「右手の所在」について諸説ある。筆者はマラッカで長年歴史を研究してきた新聞社のキャップの意見を信じている。
- イエズス会の命を承け、極東地域にイエスの教えを伝道するため中国大陸に向かったザビエル師は志半ばで殉教した。彼の遺骸はイエズス会アジア本部のゴアに廻送される途中、マラッカにも埋葬された。
- ザビエルの死後、聖骸は腐らず生きたままの姿であったと記録に残っている。ローマ教皇は手紙だけでは信じられぬので右手を切断し、送れと指示。聖骸から右手を切断すると死後1年以上経過していたにもかかわらず血が流れたという。ローマまで送られた右手は、長い船旅だったにもかかわらず、腐ったりミイラ化もせず生きた人間の手首のようだったと伝えられている。そしてその事実が認められ死後に聖人の称号を与えられた。
- こうしたことから、ザビエルの右手は落とされたまま石像になった。イヤ違う!石像を作っても神の意志によりカミナリが落とされ、右手を木っ端微塵にした。などさまざまな諸説が生まれては消えていく。
- 筆者の信じる、現地新聞社の部長は目撃談をこう語る。「ある日、楠の大木が落雷によりザビエル像に倒れ込んで、右手が落ちた」現場を見たらしい。右手のあった頃の石像も見たことがある歴史の証人だ。
- 雷が落ちて大木が倒れ、たまたまザビエル師の右手を落とした。という説を筆者は信じている。キリスト教の聖人像とイスラム教徒の生徒さん、こうした平和な光景こそザビエル師の夢だったのかもしれない。