マラッカ王宮博物館(マラヤ王宮)
- 写真の建造物は伝統的なマレーの木材建築。高床式で、吹き抜けをうまく利用した風通しの良い構造をしています。木組みで建てられたこの建物には、クギや接着剤など一切利用していません。
- スマトラ島から渡来したパラメスワラ王子が、この地に「マラッカ王朝」を宣言したのが1396年。以降ポルトガルが侵略してきた1511年まで117年間マラッカ王朝は東西交易を支える国際都市として繁栄しました。
- 栄華を極めた海洋基地国マラッカの繁栄のシンボルとして建設された王宮。当時は背後の丘の上(現在のセントポール教会史跡)のあたりに反対側の向きでマラッカ川を見下ろす位置に建てられていました。
- 占領したポルトガル軍により、マラッカ王朝の施設は王宮をはじめ役所や居住区までも徹底的に破壊・焼失されファモサ要塞(サンチャゴ砦)をはじめとするヨーロッパ式の城下街に造り替えられました。
- ポルトガルに侵略されたマラッカ王朝は南のジョホールへ逃避行し、ジョホール王朝を築き執拗にマラッカ奪還を計画しますが、返り討ちにあって断念。後の侵略者オランダにも攻撃したと記録されています。
- マラッカ王宮が再び姿を現したのは、マレーシアが独立した20世紀になってからのことです。建設当時の設計図が残っていなかったため、ズジャ・マラユ(マレー年代記)の記述によって復元されました。
- 現在マラッカ王宮博物館(Melaka Sultanate Palace)通称:マラヤ王宮ミュージアムとして一般に公開されています。
マラッカの王宮博物館にて