ポルトガルからやってきた帆船(マラッカ海洋博物館)
- 時は1509年。喜望峰を廻ってインドにたどり着き、マラッカを発見したポルトガルの帆船。東西交易の基地港だったマラッカの繁栄を見てポルトガル人船長は「世界で一番繁栄している港」と絶賛したそうです。
- 東南アジアで収穫されるスパイスはアジアの商人からインドを経由しトルコのイスタンブールへ。トルコの商人が利益を乗っけて地中海でベニスの商人へ、ここでもタップリ利益が上乗せされたスパイス(胡椒)は、西の最果てポルトガルでの価格は「金」並みだったとか。
- 大航海時代の始まりの頃ポルトガルはマラッカへ到達します。胡椒が信じられない激安価格で取引されている!イタリア、トルコ、インドの商人達の利益を上乗せしないスパイスの原価はまさに激安!だったのでしょう。
- 命をかけて喜望峰を廻ってきた甲斐があったんでしょう。初寄港からわずか2年後の1511年、ポルトガルは艦隊を率いてマラッカ沖に集結。
- 近代兵器の大砲や鉄砲で、マラッカ王朝を撃破、上陸して占領。マラッカ王宮を焼き払い自分たちの占領地を守る城壁と要塞をチャチャッと建設し欲しいがままの香辛料貿易で稼いだ莫大な財貨を本国へ。
- 敗走したマラッカ王朝は南のジョホールに遷都し王家の立て直しを謀り、執拗な復讐攻撃を仕掛けましたが近代兵器には勝てず1957年のマレーシア連邦独立まで植民地としての支配を受けることになります。
- 貴重な財宝を積み母国へ帰る途中、マラッカ沖に沈んだポルトガルの交易船「フロール・デ・ラマール丸」を復元した海洋博物館(Maritime Museum)には当時の貴重な資料が展示され一般に公開されています。
マラッカ海洋博物館にて