初代侵略者の子孫が暮らす街、ポルトガルスクエアの夕陽
- 時は大航海時代の始まりの頃、東西交易の要として栄えていたマラッカ王国。500を超す言語が通用していた国際交易港を抱えるマラッカ王朝は、1511年ポルトガルに武力で侵略されてしまいました。
- その初代侵略者「ポルトガル人」の子孫たちは、現地民族との混血を繰り返しながらも宗教や言語を守り、地元ではユーロ(Euro)が祖先のアジア(Asia)人の意味で「ユーラシアン」と呼ばれています。
- ユーラシアンたちは陽気なラテン系。音楽や芸術に才能を持っている人たちが多いように思います。海洋民族のDNAの名残りなのでしょうか?漁業で生計を立てているユーラシアンも少なくありません。
- 漁師といえば海鮮。海鮮といえばシーフード料理。マラッカでポルトガル人の子孫が暮らす「ポルトガル・スクエア」の名物はシーフード屋台。夕陽を見ながら「ポルトガル風海鮮料理」を楽しめます。
- ポルトガル・スクエアはマラッカ市内中心部から徒歩で行くにはちょっとムリがあるのでタクシーを利用するのが便利。午前中や昼下がりにいってもナンにもないからご注意!行くなら夕暮れ時~深夜です♪
- ポルチギス村、ポルトガルスクエアイチオシのシーフード屋台はコチラからどうぞ!
- 2016年追記:新興埋め立て地区マラッカ・ラヤの開発により、ハッテンシティという巨大な高層コンドミニアムビル群が、ポルトガル村の西側対岸に出現し、海峡に沈む夕日が見られなくなってしまいました。日本だと、景観を損ねる大問題に発展しそうですが・・・
マラッカのポルトガル・スクエアにて