テロの脅威を感じない平和のシンボル「セントポール教会」
- その昔、ユーラシア大陸の最西端ポルトガルからやってきたキリスト教イエズス会所属の宣教師たちがマラッカで布教活動していた。残念なことに今では屋根も朽ち果て床と壁しか残っていない。
- 1396年に建国されたマラッカ王朝は1414年にイスラム教を国教として採択。その後、中華圏とアラブを結ぶ海のシルクロード東西交易で繁栄したマラッカ王朝を駆逐したのが大航海時代の覇者ポルトガル。
- マラッカを支配したポルトガルは自分たちの信仰であるキリスト教をこのマラッカに根付かせるためローマ教会に依願した。そして白羽の矢が立ち任命されたのがイエズス会所属の宣教師たちだった。
- ある日、ミサを終えた宣教師に遙か東方のアジアの民が面会を希望した。宣教師は、礼儀正しく好奇心旺盛な鹿児島出身の元武士「ヤジロウ」を高く評価し日本への訪問を決意したという。
- その宣教師とは1549年、日本で最初にキリストを伝道したフランシスコ・ザビエル氏。彼はここマラッカから極東の日本を目指し旅立ったのだ。その後、マラッカに戻り中国大陸への伝道を計画。
- 中国大陸目前のサンチャン島で殉教した。ザビエル氏の遺骸はインドのゴアへ廻送される途中、このセントポール教会に安置された。遺骸は腐ることもなくまるで眠っているようだったと記録に残っている。
- マラッカではセントフランシスザビエルと呼ばれ、永遠の命を得たかのように21世紀の今日でも信徒たちから尊崇されている。彼の功績をたたえ建立されたザビエルチャーチにはヤジロウ氏の銅像も建てられている。
- 筆者は、マラッカに漂着した頃から時間があればこの丘の上にある教会史跡に登っている。団体でやってくるやかましい中国人旅行客。少数のグループで行儀良く見学している日本人観光客。
- 白人のバックパッカーも少なくない。しかし、最近多く見かけるのがイスラム教徒とお見受けするマレーシアやインドネシアの観光客たち。たまに修学旅行生のイスラム教徒の団体までやってくる。
- キリスト教徒が築いた教会史跡にイスラム教徒が訪問している光景だ。地球規模で世間を騒がせているテロの脅威は少なくてもこのマラッカには無い。信仰の自由と平和を感じさせてくれる光景でもある。