真珠湾奇襲攻撃より数時間早く攻撃が始まったマレー半島侵攻の史実
- 2011年、8月15日、66年目の終戦記念日にマラッカの独立記念広場に建つマレーシア独立記念博物館に展示されている「旧日本軍によるマレーシア占領」の資料を見つめ直してみた。
- 今から500年前に、香辛料や茶葉、絹や陶器、銀などの東西交易を担う港湾国家として繁栄していたマラッカ王朝は、大航海時代の幕開けにポルトガル帝国により武力侵攻され植民地支配された。
- 以降もオランダ、イギリスによる屈辱の支配が続く。アメリカの経済制裁により資源に困窮していた大日本帝国は1941年、大東亜戦争(太平洋戦争)に突入。イギリス領マレー半島に上陸作戦を展開した。
- アジア圏の欧米植民地支配からの解放「大東亜共栄圏」を掲げていたが、石油や石炭、錫・天然ゴム・椰子油などの天然資源を確保するのが目的だと戦史評論家たちは「南方資源獲得論」を訴えている。
- 開戦の理由、マレー半島占領の目的については専門家の分析が正しいと思う。しかし、マレー半島侵攻作戦は「真珠湾奇襲攻撃より数時間早く開始されていた」歴史上の史実に目を向けたい。
- 展示されている資料によると、日本軍は1941年12月8日未明1時35分にマレー半島東海岸上陸している。真珠湾攻撃は同日午前3時19分と記録されている。数時間早く攻撃が開始されたのは史実である。
- 上陸後の日本軍は俗に「銀輪部隊」と呼ばれる自転車で進軍。シンガポールを目指して南進した。クアラルンプールは1942年1月11日、マラッカは1月15日、ジョホールバルは1月31日に陥落している。
- 66年目の終戦記念日だが、侵攻を始めた年から70年経っている。当時10歳だった子供も80歳、二十歳の若者も90歳になっている。開戦当初の記憶を持つ人は少ないと思うが、史実は残っている。
終戦記念日にマレーシア独立記念博物館にて