ジョンカーギャラリーの女主人 |
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マラッカで女性オーナーのことを「老板娘」と漢字で書いて「ラオパンニャン」と読む。中国語がそのまま使われているのだが写真の右端の女性がこのジョンカーギャラリーグループのオーナでもある司令塔。 |
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儲かってしかたのないリッチなセレブなのだが、仕事熱心でいつもチェーン店舗を巡回している。儲けたお金は次なる新規店舗にガサッと注ぎ込むつもりなのか、身なりはシンプルで生活にハデさはない。 |
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筆者と知り合ったのは8年近く昔。当時、彼女は筆者の暮らすマラッカ一丁目にある5星ホテル、ラマダ・ルネッサンス・マラッカのアシスタントセールスマネージャーを担当していた。 |
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このルネッサンスホテルに日本から研修できていたAさんの仕事仲間ということで紹介されたのがきっかけで知り合いになった。忘れもしないSARS流感が世界の旅行業界に深刻な影響を与えた年だった。 |
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ルネッサンスホテルで働くスタッフが350名に対して、宿泊客がわずか7室9名のお客さんという稼働日も実際にあった。マラッカを訪問する観光客激減した。みやげ物を扱うお店も酷い打撃を受けた。 |
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そんな最悪の時期に、彼女はご主人と共にサイドビジネスとしてジョンカーストリートのパサマラム(夜店)に出店を決意。週末にはジョンカーストリートの屋台でオリジナルのカバンを売り始めた。 |
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竹でできた簀の子をクルンと曲げて木製の取っ手を付けた手作りのハンドバッグ。オリジナルのアクセサリーを縫いつけたドコにもない新しいデザインのハンドバッグだった。価格は1500円弱だったと思う。 |
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これがバカ売れ。週末の販売に間に合わせるため、平日は家族総出でハンドバックを作り続けたらしい。観光客の数は激減していたが、地元のお客さんやKLやシンガポールからのお客さんに売れに売れた。 |
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スパイスマグネットを創作してデビューさせたのも初期の成功例だった。やがて、彼女はルネッサンスホテルを円満退職しジョンカーストリートに一店舗目を構えた。 |
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その後、気がつけばジョンカーストリートで最もホットに躍進を続ける最大規模の小売りチェーン店の「ラオパンニャン」となってしまった。仕事に対する真摯な挑戦はまだまだ続きそうだ。 |
ジョンカーギャラリー本店にて |