ダタラン・サトゥ・マレーシアに沈む夕陽
- マラッカ市内中心部から海岸線に沿ってクルマで北上すること約30分。マレー語でダタラン・サトゥ・マレーシア(Dataran one Melaysia:1 Malaysia square:ワン・マレーシア広場)と名付けられた広大な埋め立て地がある。
- 2008年の暮れから始まった埋め立て工事により6年で景色は変貌した。かつてクレイバン・ビーチと名付けられていた風光明媚な海岸沿いの街は、約750m陸に封じ込められてしまった。 海沿いのカフェも残念ながら消えてしまった。
- 高速道路もマラッカラヤまで貫通するのも時間の問題となっている。開通すればマラッカの市内中心部まで15分短縮されることになるだろう。近隣の住民にとって便利で重要なインフラ整備だと思う。
- しかし、大切な景色を失ってしまったことを忘れてはいけない。そしてもう一つ、10年前に起こったスマトラ島沖地震により津波で多くの命が失われた現実を忘れてしまっているのではないだろうか?
- タイのプーケットやピピ島で5305名、マレーシアのペナン島でも68名、震源地のインドネシアの被害者を含めると22万人の尊い命が失われた。2004年12月26日のことだった。 幸いにもマラッカには津波が押し寄せずに被害もなかった。
- しかし、震度3程度の揺れを感じた。当時筆者はマラッカ一丁目のショップハウスで暮らしていたが危険を感じて外へ飛び出した。多くの観光客がパニックの如く着の身着のままで高層ホテルから飛び出してきていたのだ。
- ラマダホテル、オーキッドホテルから地震の揺れに驚いてガウン姿の宿泊客が飛び出して道路を埋め尽くしていた。地震に慣れている日本人である筆者も、あの揺れには恐怖を感じた。
- あの事件後、海岸沿いの不動産価格は軒並み下落した。高層マンションの価格も、家賃さえも下落したのだ。そういう10年前の惨劇をみんなは忘れてしまったのだろうか?
- クレイバンのワン・マレーシア広場には防波堤も防潮堤も何にもない。津波が押し寄せてきたら・・・、誰もそんなことを考えていないかのようにマラッカ海峡に今日も日が沈む。
Pantai Klebang Dataran 1 Malaysia Melakaにて